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【往年の名選手】フェデラーが憧れた男 ”ステファン・エドバーグ”|Stefan Edberg

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“Stefan Edberg tennis 2″©Tennis Lessons in Singapore OnCourtAdvantage.com(CC BY 2.0)

80年代前半から90年代後半にかけ、流れるようなサーブ&ボレーと端正なマスクでテニスファンを魅了した”ステファン・エドバーグ”。あのフェデラーも、エドバーグに憧れていたことは有名な話です。

先日、WOWOW『週刊テニスNAVI』のコーナーでエドバーグが特集され、彼の華麗なプレーに胸躍らせた、あの頃の気持ちがフラッシュバックしました。

今回は、語り継がれるスウェーデンの英雄”ステファン・エドバーグについて紹介していきたいと思います。

エドバーグが活躍した時代

エドバーグの現役時代は、マッケンローが全盛だった80年代前半から、サンプラス、アガシが台頭した90年代後半。先に引退したボルグ、同年代のビランデルとともに、スウェーデンテニスの黄金期を支えた一人でもありました。テニスファンにとっては、特に90年前後のエドバーグ・ベッカー時代が印象に残ります。

しのぎを削ったライバルたちは、上の世代ではマッケンロー、レンドルビランデル、同世代にはベッカー(1年違い)下の世代ではクーリエ、アガシ、サンプラス世代などです。

ベースライナー、オールラウンダーが台頭した90年代、”サーブ&ボレーの美学”を貫きとおした、格好良すぎた伝説の名プレーヤーです。日本で注目され始めた当初は現地語読みに近い”ステファン・エドベリ”と呼ばれていましたが、よりメジャーになるにしたがって英語読みの”エドバーグ”の呼び名で統一されるようになりました。本人も”エドバーグ”の呼び名を望んでいたという話です。

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流れるような力みのない芸術的なエドバーグのボレーは見るものを魅了した。天才的で真似しがたいマッケンロー、ダイナミックでパワーのあるラフターとはタイプが違うサーブ&ボレースタイル

エドバーグの主な記録

  • グランドスラム:合計6勝(全豪1985年,1987年の2勝、全英1988年,1990年の2勝、全米1991年,1992年の2勝) 歴代22位タイ
  • 世界ランク1位通算在位記録:72週 歴代11位
  • シングルス・ダブルスそれぞれで世界ランキング1位(1990年/1986年)は史上マッケンローとエドバーグのみ達成
  • グランドスラム2回連覇:全豪1985年,1987年(12月から1月開催に変更された1986年は不開催)、全米1991年,1992年

(2020年8月現在)

19歳だった1985年全豪での優勝から、26歳での92年全米優勝まで、長い期間グランドスラムのトップで活躍したレジェンドプレーヤーです。

ステファン・エドバーグとは

芸術的で華麗なサーブ&ボレー

7歳でテニスを始めたエドバーグは、少年期から数々の世界大会で活躍をし、17歳だった1983年には歴史上唯一のジュニア年間グランドスラムの偉業を達成します。この偉業はいまだにエドバーグ以外は達成できていません。

芸術と称された美しく流れるようなサーブ&ボレーを武器とし、ツアー参戦後の1985年には全豪オープンで同胞のマッツ・ビランデルを破りグランドスラム初優勝。

レンドル、ビランデルをトップから引きずり下ろし、ベッカーとともに”カーボンラケットによる”新たなサーブ&ボレー時代を創出しました。

攻撃的ながら美しく、観る者全てを魅了したエドバーグのテニス。エドバーグのテニス哲学のとおり、常にドキドキワクワクさせられるそのテニスは、エンターテインメントといっても過言ではありませんでした。

僕は「退屈なプレー」なんてしたくないんだ

ステファン・エドバーグ談(WOWOW『週刊テニスNAVI』より)

どれだけ抜かれようとも、たとえ揶揄されようとも、そのスタイルを貫き通したエドバーグ。最後の「本物の」サーブアンドボレーヤーの姿は、多くのテニスファンの記憶に残り続けています。

私は確かに最後のサーブ&ボレーヤーだった 「本物」のね

ステファン・エドバーグ談(WOWOW『週刊テニスNAVI』より)

エドバーグを形容すると

テニスとルックスの両方でテニスファンを魅了したエドバーグ。彼の形容にも美しい言葉が並びます。

  • 真の天才少年
  • 北欧の貴公子
  • グラスの貴公子
  • 芸術家
  • プリンス
  • テニス界のアイドル

フェアプレーの代表格

エドバーグはそのフェアプレーぶりも有名で、ATPのスポーツマンシップ賞を5回も受賞しています。その功績から、現在ではエドバーグの名を冠して”ステファン・エドバーグスポーツマンシップ賞”に変更されています。

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エドバーグの技術

サービス

ネットへ詰める時間の確保を最優先に考え、あえてスピードの遅いスピンサービスを選択していました。188cmの長身でありながら、サービスポイントはほとんど狙わず、あくまでも相手をコートから追い出し、角度あるボレーにつなげるための布石として使うことを本当に徹底していました。

しかしながら、その強靭な下半身と背筋から繰り出される回転量の多いスピンサービスはものすごい高さまで跳ね上がり、強烈なキックをし、コートレベルの映像では特にその凄さが伝わってきたものです。1991年全米オープン決勝で、TBSの解説としてコートサイドで観ていた長嶋茂雄氏がエドバーグのキックサービスに感嘆の声を上げていたことをはっきり記憶しています。

そしてファーストとセカンドの落差が少なかったため、セカンドでも質の高いサーブ&ボレーを行うことが可能でした。

ただ、後ろ足(右足)を大きく引き寄せる打ち方だったため、右足がベースラインを越えてしまうフットフォルトをたまに見せるのも、エドバーグの特徴のひとつでした。

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スマッシュ

ネットプレーヤーの絶対条件であるスマッシュも非常に得意としていました。エドバーグがスマッシュをミスするシーンはほとんど記憶がありません。

形勢によってはスピンスマッシュやスライススマッシュを上手く使いながら、次のネットプレーにつながるような組み立てもできましたので、本当に穴が少ないネットプレーでした。

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ボレー

非常に読みに優れ、流れるようなステップ、力みのないコースをついたピンポイントボレー。相手の難しい打球に対しては無理して一発では決めず、次につなげるためのボレーを選択する見極めのセンス。

またボレーのコースは、左右だけでなく、前後、高低を使い分け、相手の打つコースを狭めることで、自身のネットプレーに有利な状況を作り出すことを常に考えていました。

特にエドバーグは、短く低い角度がついたボレーを上手く使っていた印象が強く残っています。

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フォアハンドストローク

唯一エドバーグの欠点と言われたフォアハンドストローク。

実はエドバーグは、15歳まではダブルバックハンドのベースライナーでしたが、フォアハンドストロークの弱さを理由に、シングルバックハンドに変更しつつサーブ&ボレーへ転向したのです。コンプレックスだったフォアハンドのおかげで、サーブ&ボレーヤーエドバーグが誕生したのです。

そして、本人とそのコーチのトニー・ピッカード氏は決して”フォアハンドを欠点”として認めていませんでした。確かにエドバーグのフォアハンドは、コンチネンタルグリップで、スピードあるパワフルなストロークではありませんでした。しかしサービスの考え方と同様に、エドバーグにとってのストロークは、あくまでも”ネットにつなげるためのストローク”なのです。

スピードはなくてもコントロールが良いエドバーグのフォアハンドは、相手のカウンターを受けにくい効果もありました。深い球、浅い球、角度を上手く使い分けながら、相手に心地良いラリーをさせないように努め、チャンスがあれば得意なネットプレーに持ち込むのです。ネットにつなげるための布石として、あのフォアハンドが最適だったことは間違いありません。

また追い込まれた時のフォアハンドのパッシングショット、トップスピンロブが上手で、ギリギリまでコースを隠し相手の逆を取ってショートクロスや頭上を抜くショットはエドバーグの十八番のひとつでした。

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バックハンドストローク

エドバーグの十八番のもうひとつが、テニスファンたちが憧れた華麗なシングルバックハンドストロークです。

右肩を入れ上半身をしっかりひねることで、ギリギリまで相手にコースを読ませず、パッシングショットも得意としていました。バランスが良いキレイなフォームで、当時のテニス雑誌のシングルバックハンド模範例は常にエドバーグでした。

ネットにつなげるための低く滑るバックハンドスライスも流麗で、キャリオカステップを使ったスライスアプローチは芸術的でした。

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ガッツポーズ

紳士的で普段はポーカーフェイスなエドバーグでしたが、気合が入り、重要なポイントを取った時にはやや控えめなガッツポーズを見せてくれることがありました。決して相手や観客を煽るようなことはなく、自分を鼓舞するためだけに、ごく短い時間だけ見せるそのガッツポーズもまたとても格好良く見えたものです。

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コーチ”トニー・ピッカード”と家族の存在

常にファミリーボックスから試合を見つめていた英国人コーチ”トニー・ピッカード”とのタッグも有名です。エドバーグは1984年にピッカードとともにプロとしてのキャリアをスタートさせ、そのプロ生活のほとんどを彼とともに過ごしました。

ピッカードは全てのプレーに意味を持たせることをエドバーグに徹底させ、私生活の細かい部分まで管理主義だったという話です。ピッカードによってエドバーグの精密機械のようなサーブ&ボレーが完成されたのでしょう。

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エドバーグがもう一人、よくファミリーボックスに座らせていたのは恋人アネット・オルセンでした。同朋マッツ・ビランデルの元婚約者でもあった彼女は、元モデルで、エドバーグと付き合い出してからはやや悪女顔に見える派手目な化粧と髪型を特徴としていました。爽やか好青年のエドバーグの恋人としては違和感が大きい…、というのが多くのファンの気持ちだったはずです。

しかし彼女と付き合いながら進んだエドバーグのキャリアは順調なものでしたし、恋人から素晴らしいサポートを受けていたことは事実なのでしょう。

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エドバーグは1992年にアネット・オルセンと結婚し、翌93年には長女が生まれます。結果的に、結婚した1992年はエドバーグにとって最後にグランドスラムで優勝した年となりました。テニス以外の人生イベントが増えるに従い、そのテニスには陰りが見え始めます。キャリア後半の1994年には長年連れ添ったピッカードコーチとの関係を最小限にとどめてセルフコーチングにトライしましたが、全盛期の輝きは結局取り戻せませんでした。

フェデラー、ナダル、ジョコビッチも「人生はテニスだけではない。家族の方が大切だ」と言いますが、エドバーグも家族を得て、テニスに対するスタンスが大きく変化したのかも知れません。最終的に、エドバーグは1996年に30歳で引退を迎えることとなりました。

引退後 フェデラーのコーチとして

2014年から2015年の短い期間でしたが、エドバーグはロジャー・フェデラーのコーチを務めました。この時期のフェデラーは2012年ウィンブルドン以降、グランドスラム優勝から遠ざかり、やや停滞していた時期にあたります。

エドバーグコーチは、フェデラーに積極的なネットプレーの展開を伝授し、結果的にはグランドスラム優勝は叶わなかったものの、ニューフェデラーとして比較的好調な2年間を過ごすことにつながったようです。

エドバーグのテニスギア

テニスラケット

キャリアのほとんどを通して、セントヴィンセント製のウイルソン  プロスタッフミッドを愛用していたエドバーグ。若いころにはアディダスの白ラケを試したことがあったようですが、それも一瞬の出来事だったようです。エドバーグに憧れるテニスファンはとても多かったため、この頃プロスタッフミッドはバカ売れだったそうです。私もその購入者の一人でした。

85平方インチのフェイスサイズながら、バランスが良く強靭なフレームで、とても心地よい打感のラケットでした。

このプロスタッフミッドに巻かれていたのは、これまた伝説のフェアウェイレザーグリップです。エドバーグはオーバーグリップは使わずに、フェアウェイレザーのままプレーしていました。

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エドバーグは1991年にはプロスタッフミッドのペイントジョブの”プロスタッフクラシック”を使用し始めましたが、これも93年頃には元のベーシックなミッドへ戻してしまいます。

私はこのプロスタッフクラシックによって、はじめてペイントジョブというものの存在を知りました。そして見事にメーカー戦略にはまって買わされてしまいました…。

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ストリング

1991年までは、英国ボウブランドのナチュラルガットを愛用していました。フェイス上部に入ったボウブランドの小さな●型ステンシルマークは、エドバーグの象徴のひとつとなっていました。真似をしてマジックで●を塗っていたのは私だけではないはず。

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1992年はストリングメーカーのステンシルがなくなり、ウイルソンのステンシルだけが入っていた時期です。

1993年以降は、バボラとストリング契約をしたようで、バボラの2本線ステンシルとウイルソンステンシルの両方が入るようになりました。

テニスウェア・シューズ

ウェア、シューズはキャリアを通してアディダスと契約し、エドバーグモデルが発売されていました。

イニシャルデザインがプリントされたり、本人が描かれたプリントだったり、なかなか独特なセンスのウェアで、エドバーグだからこそ許されたデザインと言えます。

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シューズも、実はエドバーグ本人は履いていないエドバーグモデルだったりして、エドバーグ人気はメーカー戦略に大いに利用されていました。

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伝説のソックス”ソロパッズ”

エドバーグは伝説のソックス”ソロパッズ”を愛用していました。

以前にも紹介しましたが、ソロパッズは特にプロと契約はしていなかったにも関わらず、多くのトッププロから愛用されていたことで、その品質の高さが証明されたソックスです。エドバーグもキャリアを通して使用し続けています。

今では主に並行輸入品が流通しているようです。

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EBELの腕時計

なぜかプレー中常に身に着けている金属ブレスの腕時計も、エドバーグを象徴するグッズのひとつです。EBELというブランドのその時計は、プレーを邪魔しない小さめフェイスでとても薄いのが特徴でした。

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さいごに

私がはじめてエドバーグを観たのは、1987年ウィンブルドン。サーブ&ボレー、パッシングショット、トップスピンロブ、その華麗で躍動感溢れるテニスに衝撃を受け、すぐに虜になりました。エドバーグの使うテニスギア、サーブを打つ前に前髪を吹き上げる仕草、全てが憧れの対象となりました。

数多のプロテニス選手の中でも、これだけ魅力に溢れるテニス選手はなかなかいません。

時に全くはまらない試合があったり、キャリア後半には思うようなテニスができない時期もありましたが、そんな儚い一面すらエドバーグの魅力のひとつだったように思います。

幸い、今ならYouTubeで沢山のエドバーグ動画を視聴することができます。知っている方も知らない方も、ぜひ一度はエドバーグのプレーの素晴らしさをご覧いただきたいと思います。

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