テニス歴史

【最後のNo.1サーブ&ボレーヤー】パトリック・ラフターに憧れて Patric Rafter

偉大なるサーブアンドボレーヤーであるエドバーグが引退した1996年頃は、オールラウンドプレーヤーの時代になりつつあり、もう二度と純粋なサーブ&ボレースタイルがトップにくることはない、そんな予感が漂う時代でもありました。

そんな20世紀末に、突如現れた、最後の本格派サーブ&ボレーヤー「パトリック・ラフター」。

高い身体能力を生かした躍動感あふれるサーブ&ボレーを武器に、ATPランキングトップに立った、語り継ぐべき名プレーヤーです。

私も大ファンだった「パトリック・ラフター」の魅力を振り返ってみたいと思います。

ATPツアー戦国時代:1997年~2001年

Embed from Getty Images

ラフターが主に活躍した1997年~2001年は、ATPツアーにおいては戦国時代と言える、混沌とした時代でした。

最終的にはグランドスラム14勝をあげる偉大なチャンピオン「ピート・サンプラス」の強さに、少しずつ陰りが見えてくる時期でもあり、この5年間で10人のグランドスラム優勝者が誕生しています(サンプラス、クエルテン、ラフター、コルダ、モヤ、カフェルニコフ、アガシ、サフィン、イバニセビッチ、ヒューイット)。

フェデラー無双の2004年を起点にすると、2020年までの17年間・67大会における、グランドスラム優勝者数はわずか10人。BIG4の寡占状態が続く現在と比較すると、1997年~2001年がいかにエキサイティングな戦国時代だったかが理解できる。

この時期に活躍していた主な選手は次の通りです。

1997~2001年のATPポイント数トップ20

サンプラス、カフェルニコフ、アガシ、クエルテンラフターヘンマンコレチャリオスフィリポーシスルゼドスキーヒューイット、モヤクライチェクピオリーンイバニセビッチサフィンコスタフェレーロノーマンエンクヴィスト

下線は純粋なサーブ&ボレーヤー

このリストを見ても、ラフターがこの5年間、いかに安定した成績を残したかが理解できます。

尚、フェデラーは1999年からツアーに参戦しましたが、ラフターとは1999年フレンチオープン、2001年マイアミ、ハレで対戦しておりラフターの全勝となっています。

ラフターはフェデラーと3回以上対戦した選手の中で、一度も負けていない唯一のプロ選手だそうです。

ラフターの主な記録

  • グランドスラム:シングル2勝(全米1997,1998)、ダブルス1勝(全豪1999)
  • その他グランドスラム最高成績:全豪ベスト4(2001)、全仏ベスト4(1997)、ウィンブルドン準優勝(2000,2001)
  • 世界ランク1位在位:1週(1999年7月26日)
  • 1998年アメリカンサマースラム達成(カナダ、シンシナティ、全米オープンの優勝)※他、2003年ロディック、2013年ナダルも達成
  • 全米オープン史上唯一の記録:2連覇した翌年の1回戦敗退(ただしケガによる途中棄権)

パトリック・ラフターとは

プロフィール

出身・国籍オーストラリア
生年月日1972年12月28日
身長185cm
利き手右利き
バックハンド片手打ち
プロ転向1991年

大器晩成型だったラフター

ラフターのプロ転向は19歳だった1991年。1994年にマンチェスターで初めてツアー優勝を果たしますが、本格的な活躍までには時間を要しました。

日本のテニスファンにとって、ATPツアーは今ほど身近ではなく、グランドスラムで成績を収めるまでは注目されない時代。テニス雑誌のボレー特集の見本例として、ラフターが使われることはありましたが、まだまだまだメジャーではない若手扱いでした。

しかし、25歳になる年の1997年に突如大ブレークするのです。

サーブ&ボレーヤーにとっては相性が良いとは言えない全仏オープンで、ベスト4の成績を残し波に乗ります。そして全米オープンでは、アガシやチャンを破り、決勝ではグレッグ・ルゼドスキーを4セットで破って見事優勝

ツアー2勝目が全米制覇だったこともあり、ラフターの活躍に対して「フロックだ!」というテニス関係者の声が多かったとか。

しかしながら、コートを縦横無尽に駆けまわり、超攻撃型なラフターのサーブ&ボレースタイルが、多くのテニスファンの心を掴んだことは紛れもない事実でした。

Embed from Getty Images

全米オープン連覇の快挙

1997年をランキング2位で終了したラフターは、1998年も好調を維持します。

グランドスラムは、全豪3回戦、全仏2回戦、ウィンブルドン4回戦だったものの、8月の全米前哨戦において負け知らずの3大会連続優勝を果たし(カナダ、シンシナティ、アメリカのロングアイランド)、全米オープン連覇に挑みます。

全米では、イバニセビッチ、そしてサンプラスも破り、決勝では同朋のマーク・フィリポーシスの「スカッド・サーブ」をも攻略し、見後に2連覇を達成します。この決勝におけるラフターのアンフォースドエラーはわずか5本、という驚異的な記録も残しています。

Embed from Getty Images

念願のATPランキングNo.1に

1999年のウィンブルドン終了後、7月26日付けでラフターは念願の世界ランキング1位に到達します。

その直前まで1位だったのはアンドレ・アガシでしたが、そのアガシに破れてのベスト4だったにも関わらず、替わりに1位へ昇格したというのは、少々皮肉な結果でした。

そして翌週8月2日には、今度はサンプラスに1位の座を奪われ、残念ながらわずか1週間の栄冠で終わってしまいました。

プレースタイル

サーフェス問わず、セカンドサーブでもネットに出る、純粋型のサーブ&ボレーヤーだったラフター。

バランスの良い体格で身体能力も非常に高く、コートカバーリングの広さ、オールラウンドさ、器用さを持ち合わせたボレーヤーでもありました。常にネットでプレッシャーをかけ続け、追い込んで仕留める、躍動感あふれるプレーは数多くのファンをしびれさせました。

同じサーブ&ボレーヤーでも、マッケンローは天才型、エドバーグが理詰めのコンピューターだったのに対し、ラフターは豪快なフィジカルモンスターボレーヤーと言えます。

ラフターの試合は常にスリリングで、見るものを飽きさせない最高のエンターテインメントと言えるテニスでした。

1997年の全米準決勝では、ラフターはマイケル・チャンの世界トップの守備力を見事に打ち破りました。この試合にラフターの魅力が凝縮されていると感じます。百聞は一見に如かず、ぜひご覧ください。

バンザイ型のサービスフォーム、プレースメント重視のキックサーブ、ショットの際に漏れ出る「ヘェイ!」の声、スライスストロークの凄まじいコントロール。あの頃憧れたラフターのプレーが、こうして今でも眺められるのは、本当に幸せなことです。

ラフター愛用のテニスギア

ラフターはキャリアを通して、ラケットはプリンス、ウェア・シューズはリーボックとの契約を貫きました。

ラケット

GraphiteⅡMID PLUS

1994年ウィンブルドンでは「GraphiteⅡMID PLUS(グラファイト2ミッドプラス)」らしきラケットを使用しています。クロスバーの湾曲具合、独特のメタリックグリーンカラーから、グラファイトⅡで間違いないでしょう。

Embed from Getty Images

Precision Response 660PL

その後、1997年、1998年頃は、ブリッジにダンパーが搭載された「Precision Response 660PL(プレシジョンレスポンス660PL)」を使って、全米の2連覇を果たしています。このラケット以降、ラフターはブリッジダンパー付きのラケットを使い続けることになります。

Embed from Getty Images

Precision Response Titanium97(グラファイトレスポンスチタン)

そして、1999年に初めて「ラフターモデル」としての「Precision Response Titanium97(プレシジョンレスポンスチタン97)」の使用を開始。

日本ではグラファイトレスポンスチタンという名前で発売されていました。今も昔も、日本のプリンスラケットは、グラファイトの名前を冠することが販売戦略上とても重要なのです。

このレスポンスチタンは、ラバーコーティングによって、ベタツキにも似た握り心地が特徴のフレームでした。ラバーコーティングとはすなわちポリウレタン塗装であり、数年経つと加水分解してベトベトに溶けてしまうような塗装でした。

ラケット自体はとても打ちやすい1本で、ラフターは約2年間使用を続けました。

Embed from Getty Images

TT Warrior MP(トリプルスレッドウォリアーMP)

2001年からは、爽やかなホワイトカラーがまぶしい「TT Warrior MP(トリプルスレッドウォリアーMP)」に切り替えます。

このラケットは2001年ウィンブルドン決勝でイバニセビッチに惜敗した時のラケット、そしてラフター現役最後のラケットでもあり、少し切ない思い出のラケットでもあります。

このラケットも前作同様ラバー系のポリウレタンコーティングで、長期保管には向かないフレームでしたが、バランスの良い打ちやすいラケットでした。

Embed from Getty Images

ウェア・シューズ

ラフターの着用するリーボックのウェアは、独特の派手目なデザインで、素人には着こなしにくいものが多かったのですが、ラフターが着ると何でも似合ってしまうのはさすがとしか言いようがありません。

この赤のボーダーウェアには無性に憧れ、プロモデルにも関わらず定価は5千円台だったこともあり、ウィンザーラケットショップで購入したことを記憶しています。

尚、当時のほとんどがそうでしたが、ラフターも綿100%のシャツにこだわり続けた一人でした。

Embed from Getty Images

Embed from Getty Images

ダボっとしたサイズ感で、襟付きシャツは胸元まで開けるのがラフタースタイル。長髪をひっつめて縛るのも無性にカッコよく似合っていました。

Embed from Getty Images

シューズは、キャリアを通してリーボックのミドルカットを愛用し続けていたようです。当時すでに、テニスシューズの主流はローカットになっていましたので、私もあまり興味がわかず、ほぼ記憶に残っていないのが少々残念です。

その他

Embed from Getty Images

2001年に長髪を切り落とし、突然坊主頭にしたラフター。ウィンブルドンでヘッドバンドを巻いた姿はとても新鮮でした。

また、目の下と鼻に塗りたくった日焼け止めですら絵になる男でした。

ラフターは右頭頂部に部分的な色素欠乏があり、10円大の白髪ゾーンがあったのですが、それを隠そうとしないところも無性にカッコよく映りました。

Embed from Getty Images

人柄

人柄と言えば、勝っても負けても、試合終了後には相手の目を見つめて健闘を称えて握手をするのがラフターの流儀でした。

私は、ジャパンオープンで生観戦することができたのですが、ラフターはサーブのトスをやり直す際には「Sorry Mate!(ソーリーマイッ!)」と、オーストラリア英語でレシーバーに謝っていたことがとても印象的でした。

人柄の良さで知られ、「オフコートでも友人でいられる唯一の選手」と同世代の選手たちから信頼を集め、また、「頑固者」で知られた後輩のヒューイットからも強く慕われていた。

THE TENNIS DAILY パトリック・ラフタープロフィールより抜粋

さいごに

超攻撃的なサーブ&ボレーに加えて抜群のルックス、人間性も魅力的だったパトリック・ラフター。

私にとっては、最も憧れたテニス選手の一人です。

唯一残念だったのは、その活躍期間の短さです。ブレークスルーを迎えたのが24歳と遅く、トップレベルを維持できた期間は、現在のBIG3などと比べると本当に短い期間で終わってしまいました。

やはりラフターも、サーブ&ボレーヤーに特徴的な、儚い一面を持ち合わせていたように思います。その儚さも、サーブ&ボレーヤーの魅力のひとつではありますが、本当はもっと観ていたかった。

ラフターのウィンブルドン制覇を本当に見たかった!

ラフターを知らない方にも、こんな魅力的な選手がいたことをぜひ知っていただきたいと思い、気持ちをこめて記事を書きました。